歩く、とにかく歩く

以前から行きたいと思っていた「信越トレイル」。娘がだいぶ歩けるようになってきたので、来年セクションハイクで挑戦してみることにした。

斑尾山苗場山、約110kmに渡って山や里を歩くロングトレイル。10セクションに分かれていて、テント場や宿泊施設を使ってスルーハイクも出来る。

1セクションはだいたい10㎞、娘とテント場を利用して一泊二日歩くのが来年の目標。小さい目標だけれど、7歳の娘とオヤジにはちょうど良いと思う。

そしてトレーニン

宿泊ハイクなのでテントや寝袋などの荷物が増え、さらに娘の分の荷物も背負うことになる。父が背負う荷物は15kgくらいになってしまうはず。若者ならいざ知らず、アラフォーの自分は耐荷重を上げるための基本的な筋トレに加えて、心肺機能を高める為の歩きトレーニングも必要だ、と考えた。

そして歩きトレーニングに付き合わされているのが我が家の健気な愛犬である。

1kmほど普通に歩き、そこからは速歩で2km、そして帰り1kmまた普通に歩く感じです

速歩は体力の70%の歩き(ほとんど「走る」に近い歩き)で15分以上とネットで見かけて試している。2kmの早歩きから距離を増やしていきたい。

ちなみに愛犬の体力はほとんど無尽蔵。私がいくら全力で早歩きしたところで、愛犬にとっては余裕である。

gtlifelog.hateblo.jp

自然豊かなトレイルに向かう為に、無心で殺風景な工業地帯を日々歩く、、

歩く。私は歩くことが大好きである。

十分に歩くと心身ともに健やかになる、というのは体感的に間違いないと思う。ウェアやシューズを揃えてウォーキングしなくとも、普通の運動靴で1時間ほど散歩するだけで十分、早歩きも取り入れれば心肺機能や足腰の自然な強化にもなる。そしてしっかり歩いた日の心地よい疲れや気分の向上。

歩く、とにかく歩く。「歩く」というのは、現代人にとって一つのソリューションなのでは?などと思いつつ、今日も歩くことに没頭している。

初めてのトリミング

初めて愛犬をトリミングサロンに連れて行きました🐶

台車に乗って移動

成犬になって落ち着いたとはいえ、まだまだ元気いっぱいの愛犬。しかし意外にも、トリミング中は台の上でちゃんと"トリミングされている犬"をやっていた。トリマーさんの手腕すごい。

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そして仕上がりはサラッサラのフワッフワ。ぼくがどれだけブラッシングしても整わなかった後ろ脚まわりもサラッサラに。アンダーコートを軽くしてもらうオプションもお願いしたので全体のボリュームが減り、毛並みの風通しが良くなった。この梅雨〜夏、少しは過ごしやすくなったはず。

仕上がってピンクのバンダナを巻かれた愛犬。その姿からはワイルドドッグ感がなくなり、都会のカフェで飼い主の足元に伏せていてもおかしくなさそうな雰囲気が。くすんでいた毛色も、黒白茶のブラックトライがはっきり際立ってかっこ良い。

驚きの仕上がりに何だか愛犬の新たな一面を見せられたようでした😅

イヌと歩く

ぼくは愛犬を飼い始めた時、一緒にいろいろなアウトドアに行きたいなと夢を膨らませていた。アクティブなオーストラリアンシェパードを迎えたのもそもそも山登りや海などに連れて行きたかったからだった。

そんなイメージ先行で愛犬が生後半年くらいからは積極的にアウトドアに連れ出した。しかしぼくは現実を知ることになる。山の狭い山道は犬連れでは危険だったり、海や川では愛犬は泳ぐのが嫌いなようで脚までしか水に入らなかったり、キャンプではアクティブな愛犬を係留せねばならずほとんど待機状態でつまらなさそうだったり、何かと上手くいかなかった。

現実を知ったぼくはちょっと残念に感じたが、愛犬も楽しめてぼくら家族も楽しめるアウトドアを考えるようになった。そして、愛犬の性格やぼくら家族の状況も踏まえて、ぼくはハイキングこそソリューションだと気が付いた。

それからは積極的にハイキングに行くようになった。山登りほどハードでなく散歩ほどのんびりでもない。多少はアップダウンがあったり、景色を楽しめたり、ヒトにもイヌにも適度な運動になって、気分転換にもなりそうな散策路を探すのがぼくの隙間時間の使い方になった。

そしてぼくは歩くことの楽しみを知ったと思う。一人で歩くのはちょっと物足りないけれど、愛犬がいればけっこう楽しい。家族で行けば子供も楽しめるアクティビティになる。f:id:guitartochan:20220618215701j:image

もしかしたらぼくは一生の趣味を見つけたかもしれない。若い頃は読書ばかりしていたが、子供が生まれてからはめっきり本を読まなくなった。もう何かを考えたりするのは面倒に感じる。身体を動かす方が健康にも良いだろうし、気分も良くなる。年を取っても体力に合わせて歩けるし、歩くところは無数にある。ハイキングはけっこう良い趣味だと思う。

ぼくは愛犬を飼わなければこうやって歩くことの楽しみを知ることはなかっただろう。これからも愛犬といろんなところを歩いていきたい。

2歳半の愛犬

オーストラリアンシェパードについての記事を書いたのは半年ほど前だった。今、愛犬は2歳半。また少し成長したように感じている。

一番はぼくらのちょっとした動作への読みがさらに洗練された点だと思う。言葉を出さずとも、こちらの意図を察して動いてくれる事が格段に増えた。例えば散歩中、ちょっとこっちに寄ってほしい時や進む方向を知らせる時など、ぼくは何の動作もしていないと思っているのだが愛犬には分かるようだ。こういった愛犬の"察する力"は子犬の頃から見られたが、最近になって特に際立っている。人と働くワーキングドッグはみなこうなのかもしれないが、いつも驚かされるし、こちらの意図を察してくれる愛犬に感謝である。

2歳の頃も「大人になったなぁ」と感じる場面があったが、そう感じる場面はさらに増えている。突発的な出来事に対するテンションの上がり方も、若犬の頃に比べてかなり落ち着いた。当時は「困ったもんだ、、」と感じていたが、いざ愛犬が落ち着くとちょっと寂しくもある。

 

成長と共にいろいろと変わってきた愛犬だが、優しい性格は変わっていない。何というか、控えめで、あらゆるものへの接し方が柔らかく優しい。そしてびっくりするほど寛大である。

愛犬の寛大さについては、最近も驚いたエピソードがある。夜、明かりも持たずに愛犬と散歩していた時のこと。並んで歩いていたのだが、ちょっとぼくが何かに気を取られて愛犬から目を離した時に、愛犬がぼくの進路を遮るように目の前に入ってきてしまった。愛犬は匂いに気を取られて衝動的に動いたようで素早く、よそ見していたぼくは咄嗟に対応出来なかった。だからもろに愛犬とぶつかってしまった。

歩いていたぼくの足が横っ腹に当たってしまった愛犬は、声こそ出さなかったが明らかに痛がっていた。その時、ぼくは愛犬が怒るかな?と思った。立場を替えて自分だったらと考えると、突然攻撃されたように感じて少なくとも反発的な反応をするだろうと思ったからだった。だから優しい声音で「すまんすまん、よそ見してた」とすぐに愛犬に声かけをした。

そして、ぼくに対して愛犬がどんな反応をしたかと言うと、「仲直りしたい」というように視線をしきりにぼくに送り「ごめんなさい」と言っているかのようでもあった。愛犬は全く怒っていなかった。けっこう痛かったろうに、怒りや攻撃ではなく、和解や融和というような反応をぼくに示したのである。その後ぼくは「怒ってない、怒ってないよ」と愛犬の勘違いを正そうと声かけしながら歩いたのだが帰宅するまで愛犬の申し訳なさそうな態度は変わらなかった。

ぼくは愛犬のこの反応を見て、なぜ犬というのはこれほど寛大なのだろう?と驚かずにはいられなかった。嫌なことをされてもたいていのことは許してくれ、飼い主に愛情を示してくれる動物。ちょっと普通では考えられないとぼくは思う。

そして、ヒトの子供も似た寛大さを持っているとすぐに思い至る。親に虐待されている子供が親に「ごめんなさい」と言ったり、保護を求めるのはよく知られたことでしょう。それはほとんど叫び出したくなるほど悲劇的で多くの真っ当な人の心に刻まれずにはいられない子供という存在の真理だと思う。

 

寛大さ。それは保護者への愛着や愛情の強さ、と言い換えることができるのかもしれない。イヌもヒトの子供も保護者を愛さずにはいられない存在だ※。そんな存在を裏切ることはできない、と思うのがヒトの心であろう。だから愛犬に対しても娘に対しても、彼らの寛大さに甘えず、けして裏切らない真摯な態度をぼくは肝に銘じている。

話が逸れてしまったけれど、愛犬は無事に2歳半になりました。犬の飼い主は誰もが自分の犬は最高だと思っているはず。ぼくもそんな一人です🐶

春に撮った一枚

※近年のイヌ研究で、オオカミから家畜化される際に変異したある遺伝子(ヒトの場合はウィリアムズ症候群の原因となる遺伝子)が、イヌの愛情深さの原因ではないかとわかってきているようだ。

参考

「イヌは愛である 「最良の友」の科学」クライブ・ウィン (著) 早川書房

(感傷的なタイトルに対して動物心理学教授の著者が多くのエビデンスを元に自身の仮説を証明しようとしていくとても読み応えのある本です)

natgeo.nikkeibp.co.jp

本栖湖キャンプと精進湖自然観察路での出来事

この記事は過去に自分の記録用に書いていたものに加筆修正したものです。

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この前、友人Tと本栖湖キャンプに行ってきた。愛犬はキャンプはあまり好きではないと思うが、ハイキングの予定もあったから連れて行った。

ぼくとTは30代になった今でも年に数回は一緒にアウトドアに行く。お互いおっさんになったが、気を使わずに出かけられる相手というのは貴重である。

ぼくらは本栖湖キャンプ場にテントを張り、近場で犬を連れて歩けそうな場所、ということで精進湖自然観察路に向かったのだった。

精進湖の駐車場に着いて、湖を見ながら歩いていくと自然観察路の案内板を見つけた。しかし入り口がわからない。こういう時にぼくらは適当である。舗装された道、人気も多少ある場所ということで、完全に油断している。

入り口がわからないから、ぼくらはすぐ隣りの精進活性化センターに入ってみた。しかし今は使われていないのか廃墟のような佇まいである。困ったな、と辺りを見回すと人が歩いたであろう獣道のような細い踏み跡を見つけた。踏み跡を少し進むと、精進湖自然観察路の進行方向を示す標識がある。

良かった良かったとぼくらは先に進んでしまったが、これは道を間違えていたようだ。スタートを雑にしたせいで後悔することになった。

自然観察路はほとんど人が来ないのか、植物が繁茂し、進むにつれて経路がよくわからなくなってきた。森の中は薄暗く、少し不気味である。
「これもう樹海だよね」
「迷ったらアウトのやつ」
などとお互いに不安感を煽りながら恐る恐る進む。

ヒト二人が方向感覚もわからなくなったのに対し、8メートルの伸縮リードを付けた愛犬はどんどん進んでいく。ぼくらが道を探りながら歩くのに対し、愛犬には迷いがない。少し下を向きながら、トコトコと先を進んでいく。

そして気がついた。愛犬は以前ここを歩いた誰かの足跡の匂いを嗅ぎながら進んでいる!
「アンがちゃんとイヌやってるよ」
「イヌの鼻ってマジですごいんだね」

愛犬を称賛しつつ、ルートを完全に犬に任せることにした。

植物が茂り、ヒトには経路が分岐しているように見える所も愛犬は迷いなく進んだ。まるで一本の光る線を辿っているかのような動きで、愛犬の動きから以前ここを歩いた誰かが少し経路を外れて立ち止まったであろう所までわかるくらいだった。ぼくはこの時、イヌの持つ能力はヒトを助けることがあるのだと実体験を伴って知った。

愛犬に付いていく形で何とか「迷いの森」を抜けると、精進湖の湖畔が見え、ベンチもある。活躍してくれた愛犬におやつをやり、ヒトもイヌも水分補給をして少し休むことにした。

愛犬は半年ぶりに会ったTと交流したいらしく、しきりに飛びついたり撫でてもらおうとしたりしていたが、イヌに慣れていないTの対応は淡泊で愛犬は不満だったかもしれない。

その後は経路もわかりやすく、のんびりとしたハイキングになった。愛犬はぼくとTの間を行ったり来たりして、たまに先に行くとぼくらが追い付くのを待ったりしていた。(なぜ愛犬が迷いの森でのみ匂い探知したのかわからない。その以前歩いた誰かはここも通っているはずだと思うのだが)

のんびり歩いて行くと、最初に見た精進湖自然観察路の案内板の裏に出た。植物が茂っていたせいでわからなかったが、どうやらここが入り口だったようだ。ぼくらは逆?に歩いてしまったらしい。

そろそろ日も暮れてきていた。駐車場に戻り、キャンプ地の本栖湖にぼくらは戻った。

夕飯はぼくが持参した残り物カレーと、道の駅で買った野菜と行者にんにくソーセージを入れたコンソメスープ、ご飯はパックのものを湯煎した。

イメージです

夕飯後はのんびり焚き火を囲む。ぼくはビール。キャンプや野営で酒を飲んでもたいして良いものではないと経験から知っているのだが、つい買ってしまう。

酒を飲まない甘党の友人は干し芋をかじっていた。愛犬は焚き火の近くで伏せて休んでいたが、干し芋を見ると物欲しそうにアピールし始めた。ぼくはTに頼み愛犬に干し芋をわけてもらった。この時からTは愛犬にとって「久しぶりに会ったおっさん」から「美味しい芋をくれる大好きなおっさん」に昇格した。

焚き火を燃やし尽くしてぼくらはそれぞれのテントに入った。ぼくはオートキャンプではコールマンのツーリングドームを愛用している。このテントは一人用だが広めで、愛犬のクレートを入れてもぼくが寝るスペースがある。愛犬は家でも自主的にクレートで寝るから、キャンプや旅行の時もクレートで寝かせている。

シュラフに入り、ぼくは精進湖での一件について考えていた。ぼくはふだんの散歩でも愛犬の匂い嗅ぎを好きにさせている。イヌにとっては匂いから得る情報や刺激が成長にとって必要なものなのだろうと考えてのことだったが、今回の一件でますます愛犬の嗅覚を伸ばしてやりたくなった。

そのあとぼくはふと思い出して、寝付けないとき用にバックパックに入れていたコンラート・ローレンツの「人イヌにあう」を読み返そうと取り出したが、数ページ読んですぐに寝入ってしまった。ぼくはキャンプで本を読めた試しがない。