4.「オーストラリアンシェパードとの暮らし」

ここまで、ぼくが2年半一緒に暮らしてきた中でまとまってきたオーストラリアンシェパードについての感想を書いてきた。今回はうちの愛犬が暮らしている環境やふだんの生活について書いてみたい。

 

我が家は日本のどこにでもあるような町の住宅街にある。家には少し庭があって、愛犬を迎えてから庭を高さ150cmのフェンスで囲って愛犬が庭に出られるようにした。庭は一面だけ道路に面している。

室内、犬は一階リビングのみで、汚れている時はぼくお手製の150㎝四方のサークルが愛犬の居場所である。リビングでフリーにする時は一度愛犬をボディタオルで拭いてから出している。

サークルはリビングの大きな窓に面していて、これまたぼくお手製の犬用ドアで愛犬はデッキに出られる。そしてデッキは庭に面しているから、愛犬はサークルからデッキ、デッキから庭へと自由に出入りできる。

愛犬はそんな環境で外で過ごしている時間もあれば、室内でぼくたちに甘えてすり寄っている時間もある。そんな愛犬の様子から、犬が自発的に自分の居場所を選べるような環境が良いように感じている。

自由に庭に出られるおかげで愛犬は昼間、外で日向ぼっこしていたり、道行く人に少しかまってもらったり、飛んできた鳥を追いかけたりと、室内では得られない刺激を得られるのも良いと思う。

夜、愛犬は自主的にサークル内のクレートで寝ている。クレートは扉を外してあるが、愛犬はクレートで寝るのが落ち着くようだ。この愛犬の習慣は、旅行の時やキャンプの時にも助かっている。

フリー素材より。こういう表情もするが、ぼくには愛犬が何を感じているか読み取れない

「運動量」についての記事でも書いたが、ぼくは愛犬の散歩は犬の気分転換や匂いによる情報収集の時間として捉えている。だからあまり散歩の時間や回数について意識してはいないが、一日1回~2回、各30分程度だろうか。

散歩に行く時間もぼくらの都合で午前中だったり、夜だったりと不規則である。雨の日も小雨程度なら散歩に行くが、本格的に降っている日は愛犬も外に出たがらないから散歩には行っていない。

散歩とは別に、ロングリードで河川敷を散策したり、ドッグランに行ったり、ハイキングや川遊びなどのアウトドアにもよく出かける。これは週に1~2回、家族のお出かけとして子供も連れて行く。

特に河川敷は近隣で唯一の広大な場所だから、ぼくと愛犬のコンビではほとんど毎日行っている。これは愛犬だけでなくぼくの気分転換も兼ねている。河川敷は人があまり来ない時間帯に行くようにしていて、20mロングリードでのびのびと散策したり、ボール遊びしたりしている。

他にキャンプも行くが、これは年に数回である。キャンプの時はどうしても愛犬を繋いでおかねばならない時間が長く、活動的な愛犬にとってはあまり面白くないだろうと思う。

 

ぼくたち家族の状況としては、ふだんぼくか妻のどちらかが在宅している。だから仕事や家事の合間、日常的に愛犬をかまってやっている。そうやって人に向き合ってもらえる時間を愛犬はいつも求めている。

愛犬を留守番させることはほとんどないが、たまに用事などで長時間サークルに入れて留守番させても特にいたずらなどもせずに過ごしてくれている。

留守番の時は、誰もいないからどうにもならない、と察して潔く諦めてくれているような印象をぼくは受けている。雨の日に散歩に行かないのもそうだが、愛犬にはそういった物分かりの良さがある。

 

このような環境でぼくはオーストラリアンシェパードと暮らしている。こうやって書いてみるとずいぶん愛犬中心の生活を送っているような印象を与えてしまうかもしれないが、家族の日常生活の負担になってはいないと感じている。

それは、元々ぼくらがアウトドアが好きで活動的な犬を求めたことも背景にあると思う。

そう、自分と似た性格の犬を飼う方がお互いにストレスが少ない。これはけっこう重要なポイントで、自身が活動的なのに比較的おっとりした犬を飼ったり、自身がインドア派なのに活動的な犬を飼ったり、そんなことはあまりなさそうではあるが、もしあるとすればお互いに悲劇と言えるだろう。

また心理的な不足を犬で補おうとするとしたら、それもちょっと心配に感じる。犬は犬なりの方法で飼い主に愛情や親しみを示してくれるが、それを擬人化して受け取らず、素直に犬に愛情や親しみを返してやるように過ごすのがお互いの為に良さそうである。

 

ぼくは愛犬の様子を観察しながら、環境や過ごし方など考えてきた。もし、さらにこうすればより良いと感じている点をあげるとするなら、それはやはり近隣の環境ということになる。

やはりもっと自然が多く、住民も少ない場所の方が、愛犬はのびのびと暮らせるはずだ。しかしこればかりは今のぼくにはどうしようもない。それは愛犬に申し訳ないと思う部分だが、人も犬もほとんど偶然と言えるめぐり合わせで出会うわけだから、仕方のない部分でもあると思う。

実現可能なことは出来る限りがんばり、その中でお互いに妥協する部分もありつつ共生していければと考えている。(5に続きます)