思いついたサビ

今日は先日思いついたサビをインスタ投稿してみた。ぼくもそうなのだが、フィードに流れてくる投稿のキャプションまで読む人はけっこう少ないだろうと思う。ブログは文章を読むのが基本の媒体だから長いキャプションをこちらに書こうと思う。

 
 
 
 
 
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A post shared by @guitartochan

動画1

曲のアイデアが浮かぶとき、頭の中で「茂みの中から何かの尻尾が見えていることに気づいてその尻尾を捕まえて引っ張り出す」ような感覚になる。油断するとその尻尾は逃げてしまうから、集中しなければならない。似た感覚としては、ど忘れしたことを思い出そうとして思い出せたとき、だろうか。このサビも"尻尾が見えて捕まえた"もの。

動画2

メロディだけ抜き出して投稿。ギター一本で曲を弾こうとするとどうしても無理が出てしまう。自分の専門がギターだからギター一本で表現するしかないのだが、本当はいくつかの楽器で演奏したくて、自分の頭の中ではそれらが鳴っている。自分が思った通りに演奏するには、ギター、ベース、ドラム、ストリングスなどけっこう人数がいるから、悲しいかな諦めている。

動画3

普通のペンタトニックスケールと、この曲でも使っているぼく節に一音変えたペンタトニックスケール。(正確には違うスケールなのだろうが、ぼくはわからない)最後のやつは何気なく同じフレーズをオクターブで弾いたらけっこうカッコ良く感じたのでそのまま投稿。

 

曲のアイデアが思いつく時の「尻尾が見えて捕まえる感覚」は、年を取るにつれてどんどん頻度が減ってきている。若い頃はけっこうな頻度でそれがあったのに、今はせいぜい数ヶ月に一度くらいだ。おそらく、いずれ何もひらめかなくなるのだろう。

もちろん作ろうと思えば経験で何かしら作れるとは思う。しかしそれはそうやって作られたものだとすぐにわかるものにしかならない。良い曲を作るにはひらめきがやはり不可欠だと感じている。

ぼくはこのひらめく感覚を失うだろう。老化と共に失われていくものなのにその輝きをぼくは活かしてやることが出来なかったと思う。しかし、娘はこれからだ。そして何より娘にはぼくがいる。将来、娘の中に自分が失ってしまったとても懐かしくて馴染み深いその感覚を見るとき、ぼくは何を感じるだろうか。