5.「オーストラリアンシェパードとのある冬の日」

以下は過去に自分用の日記として書いたものを修正したものです。オーストラリアンシェパードについてのシリーズラストに何か気の利いた記事をと思って、少し感傷的な内容ではあるかもしれませんが投稿いたします。

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冬キャンプに行って風邪を引いてしまった。ぼくの場合、風邪はいつも喉の痛みからくる。だから喉に少しでも違和感を感じたら、すぐに風邪薬を飲むようにしている。そうすればほとんど悪化せずに数日で治る。

今朝も少し喉が痛かったから、すぐに薬を飲んだ。すると喉の痛みは治まり、薬のせいで少しボーっとするが、妙に元気になった。だから、午前中は愛犬を連れていつもの河川敷に行ってきた。

冬の河川敷は寒々しく、人はいつにもまして誰も来ない。だだっ広い場所は我が家の近くではここしかなく、ここがなければ愛犬はストレスを溜めていただろう。吹き付ける風はとても冷たいが、天気は良い。冬晴れの日である。

愛犬はいつものように20mのロングリードを着けて、元気に河川敷の草っぱらを駆け回る。ぼくは愛犬がひとしきり駆け回ってぼくの元に戻るまで見守る。

嬉しそうに駆け回る愛犬を眺めるのも良いものである。溢れるエネルギーが躍動し、冬の青空の下に輝く。愛犬の晴れ晴れとした顔を見るとぼくも嬉しくなる。

ひとしきり駆け回らせて呼び戻すと愛犬はぼくを見つめる。いつもの指示を求める眼差しである。「おまえに仕事なんてないんだぞ」といつもぼくは苦笑してしまうが、それが愛犬の生き甲斐なのである。

ぼくはボールを取り出して投げる素振りをする。愛犬は慣れっこでもう引っかからない。ぼくは何度か投げる素振りをしてから、ボールを投げる。愛犬は待ってましたとばかりに弾丸のようにボール目指してすっ飛んでいく。そしてボールを咥えて戻ってきた愛犬を捕まえてもみくちゃにして褒める。

オーストラリアンシェパードはもみくちゃにするのにちょうど良い大きさである。ぼくは愛犬と同じ高さにしゃがんで、抱き着いたり、ひっくり返って腹を見せる愛犬をわしゃわしゃしたり、前足をぼくの肩にかけて立ち上がった愛犬の顔を両手で包んで撫でたり、そんな風に全身を使って愛犬ともみくちゃになる。それは愛犬と心が通じているように感じられる最高に楽しい瞬間である。そんな風に何度もボール遊びをする。

ボール投げの後は愛犬と一緒に広大な河川敷を少し散策する。愛犬は匂い嗅ぎに忙しい。草むらに鼻を突っ込んで嗅ぎ、立て看板の支柱を嗅ぎ、落ちている空き缶を嗅ぐ。ぼくは気まぐれに愛犬を呼び戻すこともあるが、基本的には好きにさせている。

今日はそのきまぐれに呼び戻した時に、自転車に乗った人が遠くからやってくるのが見えた。ぼくはロングリードの時は常に周囲を気にしている。だから遠くの時点で気づくのである。

ぼくはチャンスだと思ってリードを短く持って固定し、愛犬を座らせて待たせる。自転車の人が近づいてきても愛犬が向かうことを我慢できれば合格である。

すぐに自転車の人が愛犬とぼくから3mほど離れた所を通り過ぎる。愛犬は自転車に一瞬向かおうとして顔を動かした。ぼくは「マテだよ」と再度伝え、少し表情を厳しくした。愛犬はぼくの顔を見て、諦めたような表情で「マテ」を継続した。ぼくは「よくできたなぁ!」と愛犬を褒め、褒美にオヤツをあげた。

2歳を過ぎた今の愛犬はこういった「マテ」が出来るが、1歳の頃は出来なかった。「マテ」自体は出来たが、どんなシチュエーションでも待つことは、2歳を過ぎてから出来るようになってきている。

突発的なことが起こらない家で「マテ」を練習するのは簡単なのだが、外では鳥が突然舞い降りてきたり、愛犬を可愛がってくれそうな人が通り過ぎたり、そういったディストラクション(愛犬の気を散らすもの)がたくさんある。

どんなシチュエーションでも辛抱強く「マテ」が出来るようになるのは、人が大好きでお調子者のオーストラリアンシェパードの場合、2歳を過ぎて分別がついてきてからなのかもしれない。

ぼくは愛犬がどう成長していくのかずっと観察してきた。今の愛犬は1歳の頃に比べて、コミュニケーションがさらによく取れるようになってきている。そしてぼくも、愛犬との接し方が少しはマシになってきたと思う。何より大切なのはコミュニケーションだということを、この2年間の経験で身に着けてきた。

 

河川敷で目いっぱい遊び、存分に匂い嗅ぎもした愛犬は帰宅後、満足そうに日向ぼっこをしてまどろんでいた。そして午後になってぼくがこれを書くためにパソコンに向かうと、足元にやってきてくつろいでいる。ぼくは時おり愛犬を撫でる。愛犬がぼくを見つめて気持ちよさそうな表情をする。ぼくもリラックスした温かい気持ちになる。

イメージです

冬の午後、短い日差しを惜しみながら、その暖かさを感じる時間。ぼくは愛犬と一緒に過ごしている。それはヒトとイヌの長い歴史の中で何度もあったであろう些細な瞬間だが、その瞬間にいるヒトとイヌは間違いなく互いに満ち足りた心を感じていたのではないだろうか。
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(記事をお読みいただきありがとうございました。オーストラリアンシェパードは本当に素晴らしい犬です。優しくて物分かりが良くて、アクティブな飼い主の最高のパートナーになってくれる犬でしょう。

しかしオゥシーが人に求めるものはかなり多く、飼い主は生活が一変する可能性があると思います。もし飼い主が犬に応えられない場合、負担を強いられるのは犬の方になるでしょう。私は愛犬を飼ってから犬という動物が大好きになりました。全ての犬が人と仲良く満足した生を送れることを願っています。)

4.「オーストラリアンシェパードとの暮らし」

ここまで、ぼくが2年半一緒に暮らしてきた中でまとまってきたオーストラリアンシェパードについての感想を書いてきた。今回はうちの愛犬が暮らしている環境やふだんの生活について書いてみたい。

 

我が家は日本のどこにでもあるような町の住宅街にある。家には少し庭があって、愛犬を迎えてから庭を高さ150cmのフェンスで囲って愛犬が庭に出られるようにした。庭は一面だけ道路に面している。

室内、犬は一階リビングのみで、汚れている時はぼくお手製の150㎝四方のサークルが愛犬の居場所である。リビングでフリーにする時は一度愛犬をボディタオルで拭いてから出している。

サークルはリビングの大きな窓に面していて、これまたぼくお手製の犬用ドアで愛犬はデッキに出られる。そしてデッキは庭に面しているから、愛犬はサークルからデッキ、デッキから庭へと自由に出入りできる。

愛犬はそんな環境で外で過ごしている時間もあれば、室内でぼくたちに甘えてすり寄っている時間もある。そんな愛犬の様子から、犬が自発的に自分の居場所を選べるような環境が良いように感じている。

自由に庭に出られるおかげで愛犬は昼間、外で日向ぼっこしていたり、道行く人に少しかまってもらったり、飛んできた鳥を追いかけたりと、室内では得られない刺激を得られるのも良いと思う。

夜、愛犬は自主的にサークル内のクレートで寝ている。クレートは扉を外してあるが、愛犬はクレートで寝るのが落ち着くようだ。この愛犬の習慣は、旅行の時やキャンプの時にも助かっている。

フリー素材より。こういう表情もするが、ぼくには愛犬が何を感じているか読み取れない

「運動量」についての記事でも書いたが、ぼくは愛犬の散歩は犬の気分転換や匂いによる情報収集の時間として捉えている。だからあまり散歩の時間や回数について意識してはいないが、一日1回~2回、各30分程度だろうか。

散歩に行く時間もぼくらの都合で午前中だったり、夜だったりと不規則である。雨の日も小雨程度なら散歩に行くが、本格的に降っている日は愛犬も外に出たがらないから散歩には行っていない。

散歩とは別に、ロングリードで河川敷を散策したり、ドッグランに行ったり、ハイキングや川遊びなどのアウトドアにもよく出かける。これは週に1~2回、家族のお出かけとして子供も連れて行く。

特に河川敷は近隣で唯一の広大な場所だから、ぼくと愛犬のコンビではほとんど毎日行っている。これは愛犬だけでなくぼくの気分転換も兼ねている。河川敷は人があまり来ない時間帯に行くようにしていて、20mロングリードでのびのびと散策したり、ボール遊びしたりしている。

他にキャンプも行くが、これは年に数回である。キャンプの時はどうしても愛犬を繋いでおかねばならない時間が長く、活動的な愛犬にとってはあまり面白くないだろうと思う。

 

ぼくたち家族の状況としては、ふだんぼくか妻のどちらかが在宅している。だから仕事や家事の合間、日常的に愛犬をかまってやっている。そうやって人に向き合ってもらえる時間を愛犬はいつも求めている。

愛犬を留守番させることはほとんどないが、たまに用事などで長時間サークルに入れて留守番させても特にいたずらなどもせずに過ごしてくれている。

留守番の時は、誰もいないからどうにもならない、と察して潔く諦めてくれているような印象をぼくは受けている。雨の日に散歩に行かないのもそうだが、愛犬にはそういった物分かりの良さがある。

 

このような環境でぼくはオーストラリアンシェパードと暮らしている。こうやって書いてみるとずいぶん愛犬中心の生活を送っているような印象を与えてしまうかもしれないが、家族の日常生活の負担になってはいないと感じている。

それは、元々ぼくらがアウトドアが好きで活動的な犬を求めたことも背景にあると思う。

そう、自分と似た性格の犬を飼う方がお互いにストレスが少ない。これはけっこう重要なポイントで、自身が活動的なのに比較的おっとりした犬を飼ったり、自身がインドア派なのに活動的な犬を飼ったり、そんなことはあまりなさそうではあるが、もしあるとすればお互いに悲劇と言えるだろう。

また心理的な不足を犬で補おうとするとしたら、それもちょっと心配に感じる。犬は犬なりの方法で飼い主に愛情や親しみを示してくれるが、それを擬人化して受け取らず、素直に犬に愛情や親しみを返してやるように過ごすのがお互いの為に良さそうである。

 

ぼくは愛犬の様子を観察しながら、環境や過ごし方など考えてきた。もし、さらにこうすればより良いと感じている点をあげるとするなら、それはやはり近隣の環境ということになる。

やはりもっと自然が多く、住民も少ない場所の方が、愛犬はのびのびと暮らせるはずだ。しかしこればかりは今のぼくにはどうしようもない。それは愛犬に申し訳ないと思う部分だが、人も犬もほとんど偶然と言えるめぐり合わせで出会うわけだから、仕方のない部分でもあると思う。

実現可能なことは出来る限りがんばり、その中でお互いに妥協する部分もありつつ共生していければと考えている。(5に続きます)

3.「オーストラリアンシェパードの運動量」

ネットでオーストラリアンシェパードについて調べると、「運動量はとても多く、一日2回、各一時間の散歩が必要」とよく書いてある。この記述は正しい部分とちょっと違うかなという部分があると今のぼくは感じている。

純粋な運動量について、ぼくは愛犬が1歳くらいの頃、愛犬はどのくらい体力があるのだろうか?と試しに低山登山に行ったことがある。

低山だが縦走で往復5時間ほどの行程。愛犬は伸縮リードで行ったり戻ったりを延々と繰り返していたから、活動量としてはぼくの数倍はあったはずだ。下山して愛犬のペースに合わせてハイペースで歩いたぼくが息も絶え絶えなのに対して、愛犬はケロッとしていた。ぼくには愛犬の体力はほとんど無尽蔵に見えた。

イメージです

1日牧場で羊を追っていられるほどの体力を持つオーストラリアンシェパードのような犬にとって、人と短いリードで歩く散歩はいくら歩いたところで大した運動にはなっていないと思う。ぼくは散歩=運動と考えるのではなく、散歩=犬の気分転換と考えるようになった。

そして愛犬と暮らす中で、運動量を気にするのではなく、「人と何かする時間の質と量」を気にするようにもなった。愛犬は人と何かするのが生き甲斐で、その中で自然に運動する。

愛犬の様子から愛犬が満足する活動もわかってくる。それは「人と一緒に行う活動で、愛犬は自由に動き回れて、尚且つ頭も使うもの」。愛犬と様々なシチュエーションで接してきたが、帰宅後に満足そうに寝るのはこういった活動の後である。

牧場で羊を追えればそれが一番だとは思うが、現実的に日本の普通の町で愛犬が満足できる活動についてぼくは考えてきた。

いくつか例を挙げてみると、「広大な河川敷でロングリードで遊ぶ」、「他に犬がいない時間帯にドッグランでトレーニング」、「ドッグトレーナーなどいつもと違う人と一緒に遊ぶ」、など。嗅覚を使う「トラッキング(足跡追跡)遊び」も良さそうである。こういった活動の時間を出来る限り作ってやりたいと感じている。

 

人と一緒にたっぷり外で活動し、家では家族にたっぷり甘える、こんな暮らし方がオゥシーには合っていると思う。ぼくはそんな暮らしを少しでも実現させてやりたくて、いろいろ考えて試している。(4に続きます)

2.「オーストラリアンシェパードのしつけ」

ぼくは子犬の愛犬を迎えてすぐに、メンター的な役割を期待して出張で来てくれるドッグトレーナーを頼んだ。犬との接し方やしつけの仕方など、実際に目の前でやってくれることで、声音や身振りなどとても参考になった。

また学者が著した犬の本も参考になる。人と犬では認知の仕方が違う部分がけっこうあって、犬に何かを伝えようとする時にそれを犬が理解しているか、に気をつける必要があるのだとぼくは学んだ。

「伝え方」については、犬を不必要に威圧してしまったり、犬が理解していないのに理解していると勘違いしてしまったりする恐れもある。これはトレーナーも教えてくれることだと思うが、知識として現在ほとんど一般化されている研究を元に書かれた本を何冊か読んでみるとわかりやすい。

この一冊、としておすすめするなら、

原書房 アーダーム・ミクローシ 著「イヌの博物図鑑」

2019年の本で、この一冊を読めば現在イヌについてわかっていて一般の飼い主が理解しておくべき情報を把握できると思う。この本の中で「イヌはおそらく、人と普通のコミュニケーションを取りながら暮らすだけで人が望む行動を学習してくれる」という旨の記述は、今のぼくの犬に対するスタンスの元になっている。

そう、しつけや基本的なコマンド(お座りや伏せなど)について、「イヌは勝手に学習してくれる」と今のぼくは考えている。

少なくとも愛犬に関しては、トレーナーやぼくらが意図的に教えたことはもちろん、他にも様々な場面でぼくらの反応から、入ってはいけない場所や、やってはいけないこと、小さな子供との接し方、などなどぼくらが意図せずに勝手に学習してくれた。ぼくはイヌという動物がこれほど凄いとは思ってもみなかった。

この「イヌは人の反応から勝手に学習してくれる」という点は、様々な飼い主が様々な考え方で犬をしつけて飼っているのにも関わらず、ほとんどの場合それなりに上手くいく理由だとも思う。ようはどんな風に接しても犬は人に合わせて行動を学んでくれる稀有な動物なのだろう。

犬を初めて飼う場合、こういったことはわからない。ぼくもイヌというまったく未知の動物を少しずつ理解してきた感がある。

 

しつけについては、いわゆる「問題行動」にどう対応するかも犬と暮らす上で重要な部分だと思う。

問題行動は飼い主がその行動をどう捉えるかで問題行動ではなくなる場合もある。また元々その犬種が仕事として行っていたような本能的な行動であったり、発達の過程で不可欠な行動であったりする場合もあるようだ。一概に「問題行動」と言えない点がこの問題を難しくしている。

愛犬の場合、ぼくらが「問題行動」と捉えたものは、a「人が好き過ぎて飛びついてしまう」、b「散歩中、白い小型犬にだけ吠える」、c「散歩中、匂い嗅ぎをしたくてどうやっても引っ張る」など。

aは辛抱強く「ノー」と伝え続けていたら、愛犬が一歳の頃からやらなくなった。今でもテンションが上がると抑えられない時があるようだが、ほとんどの場合、飛びつかずに擦り寄るだけになってくれた。

bはかなり限定的な状況だが、愛犬が子犬の頃、散歩していて白いチワワにめちゃくちゃに吠え立てられてから、愛犬は「白い小型犬」が嫌いになったようで、白い小型犬と散歩していてかち合うと吠え立てるようになってしまった。これも根気強く「ノー」と言って制止することをずっと繰り返してきた。2歳になった頃からようやく吠えずにスルーすることが出来るようになってきている。

cは犬にとって嗅覚は人の視覚と言えるほど重要なものだから、こちらは小走りになったりして疲れるが愛犬に合わせて出来る限り匂い嗅ぎをさせてやるようにしている。人通りの多い街中や横断歩道などを歩く時のみ、リードを短く持って愛犬を横に付けて歩いている。

aは「人が大好きだから」、bは「過去に嫌な思いをしたから」、cは「本能的な行動」と原因について考えてみると"そうなるのもわかる行動"だと思う。

しかし人と暮らす上ではお互いに譲歩し合わねばならないから、根気強く教え続けたり、こちらが妥協して合わせたりして対処してきた。

ぼくの対応は時間のかかるやり方かもしれないが、現在の愛犬から「問題行動」と感じるものはほとんどなく、お互いにそれなりに協調して過ごせていると思う。けっきょくは犬も人も学習していく動物なのである。(3に続きます)

 

(あくまで我が家のオーストラリアンシェパード一頭と接してきた中での感想です。「問題行動」も嚙みつくなどの危険な行動はさらに踏み込んだ対応が必要になるだろうと思います。)

1.「オーストラリアンシェパードはこんな犬」

ぼくは2歳♀のオーストラリアンシェパードと暮らしている。先日、ご近所の方から「お宅のワンちゃんがとても可愛いので、同じ犬種の犬を飼いたいと考えています」とお声かけ頂いて飼い主として何だか誇らしい気持ちになった。愛犬は人懐っこくて可愛いやつである。

立ち話で愛犬についていろいろと会話する中で、「もしかしたらオーストラリアンシェパードについての情報を求めている人がいるかも?」と気づいた。そこで「オーストラリアンシェパード」カテゴリを作って記事をまとめていくことにした。

前提として、ぼくは愛犬が自分で飼った初めての犬である。他の犬種やミックスのことはわからないし、オーストラリアンシェパード自体も個体差がもちろんあるだろう。あくまで参考程度にして頂ければ幸いである。

フリー素材のものですが愛犬にかなり似ています

オーストラリアンシェパード(以下オゥシー)は中~大型の牧羊犬種で、オーストラリアと付いているがアメリカの犬らしい。

Wikipediaでオゥシーについて見てみると、

性格は陽気で優しく忠実である。他の犬や子供と遊ぶことも大好きで、しつけの飲み込みがよく状況判断力も富む。身体能力が高く、運動量はとても多い。

とある。少なくとも我が家の愛犬についてこれはその通りと言って良いと思う。

ネットの情報になく実際に一緒に暮らしていて感じる点としては、「人と過ごすことがとにかく生き甲斐」、「運動量というよりも人と何かする時間の質と量」、「とても愛情深い」、「好奇心旺盛」、「知性的」などなど。

ファミリーの場合気になるのはオゥシーが子供と合うかどうか、という点かもしれない。少なくとも我が家の愛犬は、小さい子供や、他の犬、子犬とさえも相手に合わせて上手く遊ぶことができる。

うちの小さい娘と愛犬の過ごし方を観察していると面白い。愛犬はとても辛抱強く娘に対して接する。娘は愛犬に自然な反応を返す。愛犬はそれを汲み取って娘の邪魔をしないようにするがいつもそばに寄り添っている。

愛犬と暮らす中で最も強く印象付けられる「人と過ごすことが生き甲斐」という点については、それがこの犬の存在証明とでも言えそうなくらい、おそらくは犬種の作出の過程でこの犬が人類に持たされてしまったどうしようもない性(サガ)なのだろうと感じている。

愛犬はいつも家族の行動を目で追って何をするべきかを察しようとする。とにかく人の活動に参加したいのである。そしていつも家族の近くで寄り添って過ごしたがる。甘えてOKと伝えればぼくらの顔やら首やらを舐めまわして全力で愛情表現する。愛犬にとっての満足した生活には、人と一緒に過ごす時間の質と量が大いに関係していると思う。

我が家は常に誰かしら家に人がいる。だから愛犬を留守番させることはほとんどなく、愛犬はいつも人と一緒に過ごしている。それでも愛犬の様子を見るに足りてはいない。愛犬にとっては、自身としっかり向き合ってもらえる時間が大切で、単に一緒にいるだけでは不十分なのだろう。

こういう「何する?」と問いかけるような表情をよくします

愛犬と暮らす中で、オゥシーにとっての理想的な飼い主は、毎日一日の半分ほどは広大な自然や敷地の中で犬と一緒に出掛けたり遊んだりできる人ではないか、と思うようになった。

おそらくオゥシーが本来いたアメリカの牧場では数時間~半日ほどは屋外で人と一緒に仕事するのではないだろうか。そして時には牧場主の子供たちと遊んだり、他の牧羊犬と遊んだりもするのだろう。

犬は環境にかなり適応できる動物だとは思うが、このようにその犬種がもともといたであろう環境や状況を考えてみると見えてくるものがありそうだ、と実際に犬と暮らしていてよく思う。

犬に対するスタンスは人それぞれ。ぼくに関しては、出来る限り犬がその生を満足して送れるようにしてやりたいと考えている。(2に続きます)